クヌギを探せ!

前回は私らしからぬ、妙にくっさい文章でしたので、今回は近況でも。

実は私、昆虫好きを名乗っていながら、大学に入るまでまともに昆虫採集をしたことが無かったのです。

大学では自分の虫レベルの低さを特に思い知らされました。

どの位低いかと言うと、先輩同期、果ては後輩からも、いまだに「虫屋」を名乗ることを許されない位のレベルです。

少しでも虫屋という存在に近づくため、私はとりあえず地元の採集スポットを探し出す事にしました。

虫屋ってのは、自分の縄張りというか穴場というか、そんなのを持っているものでしょう?違いますかね

とりあえず有名所は確実に押さえるべく、佐世保で知らない人はいないであろう二つの某山に登る。車で。
来るべき夏に向け私が確保しておくのは、これまた王道中の王道、クヌギ。甲虫が好きなもので。

別にクヌギじゃなくとも、樹液が出て虫が寄り付きやすい木があることは、昔先輩などに教わってて全く知らないわけでも無いのですが、山で虫を探す基準点みたいな物に、どうしてもクヌギを据え置きたいという変な拘りから、とりあえずクヌギを探すようにしています。私の悪い癖です。無知は罪なり。

やはり上級者になるとクヌギなど最初から必要ないのでしょうか。効率的な照葉樹林の攻略法を考えねば。
そんなこんなで二つの某山で両方ともクヌギ林を発見。まあ分かりやすい所にあります。採集者も多いんじゃないでしょうか。

私は昼間にあっちこっち見回って採集するより、夜間での樹液や灯火、トラップによる採集が好きです。夜戦仕様です。決められたルートを辿るので分かりやすいですし。

しかし言い換えるとこれもまた、自分で可能性を萎めてる状態に過ぎず、やはり上級虫屋となれば、昼も夜も関係無いのでしょう。

虫屋の定義とは何でしょうか。私は未だにわかりません。

一つだけ言えるのは、「○○だから虫屋」という十分条件は思い付きませんが、「虫屋だから○○」という必要条件なら幾らでも出てくるという事です。

今の私がすべきなのは、この思い付く限りの必要条件をひたすら満たしていく事なのでしょう。


立派でなくとも、尊大でなくともいい。ただ「虫屋」というだけの、たった二文字の称号を勝ち取る、その日まで。
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遺志の行方

2014年3月22日

私の実家がある、長崎県は佐世保市。

その隣にある東彼杵郡川棚町には、大東亜戦争時に使用された狂気の海上特攻兵器、その訓練所がありました。

私は常々戦争資料に関して興味を持っていたので、そこへと足を運んできた訳です。

まあ、見てきた内容については敢えて省略します。撮った写真も少なく、「川棚 特攻」でググれば、私より優れた説明をして下さるサイトが幾つも見つかりますので。

私が今日お話したいのは、特攻、あるいはそこへ向かう志半ばで散った人々の命の意味についてです。

皆様は「特攻」という言葉で、どういう考えが浮かぶでしょうか?

或る人は「人命軽視の愚行」、また或る人は「戦闘機特攻の命中率なら最終的に~%くらい」、そんな事を考える事でしょう。

しかし皆がほぼ共通して考える事は多分、「自分なら絶対そんな役はやりたくない」ではないでしょうか。
成功したら間違いなく死。失敗してもやっぱり死。

万一生き残っても「自分だけぬけぬけと、お国に報いる事無く帰って来た」という、周りからの冷たい視線が待っている。こんな事を、一体誰が好きでやれると言うのでしょうか。

しかし当時は、特に若者が中心となって、時には自ら志願までして、その命を国に捧げていったのです。

一体これはどういう事でしょうか。

彼らはただ上層部の命令に二つ返事で答え出撃した、駒か人形のような存在だったのでしょうか。

お国の為にという言葉を、つまり国家は絶対だと盲信していた哀れな犠牲者に過ぎないのでしょうか。


私はそう思いません。彼らだって人間です。できる事なら特攻など進んでやりたくはない筈です。

彼らには「守るべきもの」があったからこそ、自らの命を捨てることも厭わず、勇敢になれたのだと私は考えます。

彼らには、自分を育て支えてくれた家族、そして故郷があります。日々悪化する戦局、忍び寄る敵の手、自分の故郷も空襲に遭うかもしれない、ならば家族は、友人は…?

ならば自分が戦わねばならない、守る為に、この身を犠牲にしようとも。

もちろん、死の恐怖に怯み、逃げたしたくなる事もあったでしょう。涙で枕が濡れる事もあったでしょう。上層部からの強要も全く無かったとも言い切れません。

それでも彼らは、自分に出来る事を受け入れ、最後の出撃に向かったのです。どうしても嫌なら、逃げるなり抵抗するなりと出来たでしょうから。


自己犠牲という精神を、命の無駄使いだ、単なる愚行だと一蹴し嘲る人もいるでしょう。

故に特攻という事実が、「命を粗末にしてはいけません」などという、ありきたりすぎるヒューマニズムで片付けられてしまいがちです。

私にはそれがどうしても許せません。

戦争という緊迫した状況でなくとも、人は人の為に命を懸けて生きている、という事実に変わりは無いのですから。

親は、我が子を養うためにあらゆる理不尽に耐え仕事をしてお金を稼ぐ。

またその仕事も、誰かの喜びや幸せの為に行われる。時には人の命を救うような事もある。

人の為に生きるという事はただの畜生にはできない、つまり人が人らしくあれる確固たる証明なのです。

特攻で散った人々を「間違った思想の狂信者」などと卑下し、「戦争の無い世の中を生きている自分らこそ善良でまっとうな存在だ」と勘違いする者達よりも、彼らはずっと人らしいと言えるでしょう。


勿論、特攻という行為そのものは、とても肯定できたものではありません。人命軽視も極まった、狂気の沙汰以外の何物でも無い戦法です。

しかし、そこへ向かった者達の意志は、毎日を退屈に、自堕落に生きる、平和ボケした我々より、ずっと崇高なものだったという事を、決して忘れてはならないのです。

川棚の特攻殉国の碑にも、まだ新しい花やお供え物が添えられていました。これらがいつも、そしていつまでも新鮮なままで保たれる事を、私はただ願うばかりです。



彼らの命は無駄になったのではありません。我々が今、無駄にしようとしているのです。

忘れていた

パスワードを忘れてログイン出来なくなって一年半近く、やっと更新できた…

文を日頃から書くのは重要だと薄々感じてきたので、また始めたいと思います。
どうぞよろしく
プロフィール

害虫

Author:害虫
たった一冊の昆虫図鑑に端を発し、「普通」の道からひたすら逸れ続けてしまい早20代半ば。

一流の「虫屋」と呼ばれる存在を目指し、日々奮闘している情けない新社会人。

しかし仕事に追われて虫捕りがこれっぽっちも出来ず、とりあえず当面はそちらに打ち込みたい。

良い言い方をすると、「自分の正しいと思う生き方の探求者」、悪い言い方をすると「社交性無きマイペース野郎」。

どっちになるかは将来の地位次第。


「最も賢い生活は、一時の風潮を馬鹿にしつつも適応していく事」

「上質な皮肉と風刺こそが最も優れたコミュニケーション手段」

「やる気を引き出す為の最たるファクターは、燃えたぎるような復讐心である」
という思想を人生のモットーとしている。

好きな生物はクワガタ、オサムシ、チョウ他多数の大型昆虫。1年置きに特定の虫に対してやたら執着する習性を持つ。最近はマルバネクワガタの繁殖に執心している。

リンクはフリーです。

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